こんにちは塩原俊之です。
ナイゲンに引き続き"時かけ"でも備忘録を書いていこうと思います。
ってかナイゲンの備忘録全然進んでなかった。。。
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注)
2w=二週間前
1d=一日前
5y=五年後
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1.時をかける稽古場とは
いつだかの記事でも書きましたが、本作品は
時間移動もの×演劇現場もの=普遍的な「あの頃」の物語(劇団という青春)
という一文から作品作りがスタートしました。
まぁこれはパッケージというか外側というかこの商品のキャッチコピーであったり売り文句みたいなものですけど、では出来上がった中身の物語に注目してみると「選択」と「決断」の話であったりします。
2.ニュータイプ的発想のクマガイとそれを受け入れられなかった「2wの人々」
本作のラストシーンで2wの人々は「Back Space」という公演について一つの大きな選択を迫られます。
Aクマガイのみを入れ替えた状態で本番を迎える=インフルは回避される=公演は中止にはならない
Bクマガイ含む全ての座組みを元に戻す=インフルは回避されない可能性が高い=ほぼ確実に公演は中止となる
こうして無機質な文字に起こしてしまうと、Aを選択するに決まってんじゃん!ってなっちゃいますよね。
まぁどうなったかは観て頂いた人には分かると思いますが。
前回公演ナイゲンの出演者でもあり役者仲間長谷川君のブログではこう語られています。
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アサコシの『我儘』は、クマガイの提示した正しい『解答』には、理屈の上では敵うはずがないのです。
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クマガイが提唱した超合理的思想A案はタイムマシンや因果律など全てを乗り越え得るニュータイプ的思想かもしれません。
しかし結果この物語のラスト、座組みの「選択」はオールドタイプ的思想B案でした。
一体何がその「選択」をさせたのか?
色々理由はあると思いますが「なんかダメ」という曖昧なものが、圧倒的に軟弱でお人好しな思想が、時として理を上回ったりするから不思議です。
クマガイのニュータイプ的発想はアサコシの「ほぼ確実に起きる。しかしまだ起きてはいない。」というある種の屁理屈のようなものを越えられなかったのです。
3.選択によって見えてくる是非
きっと観て頂いたお客さんの中には前項のクマガイA案を支持する人ももちろんいるでしょう。
B案を選んだのはあくまでもこの作品とこの座組みであり、もし自分の立場だったら。。。と考えてみるのもいいかもしれません。
5yの立場になって「過去の清算をするか否か?」なども考えてみて下さい。
その時の選択によって「タイムマシーンの是非」や「何をもって公演の成功とするのか?」などを自分に当てはめて考察してみるのも面白いですね。
もしタイムマシーンがあったら、あなたは使いますか?
4.ナイゲンとの共通点
「時をかける稽古場」と前作「ナイゲン」には奇妙な共通点があります。
「クマガイ」であり「どさまわり」という役は、理屈の上では正しい事を言っていても、大衆の支持が得られないこともある、という事を知ってしまいます。
ナイゲンのどさまわりの「そもそも学校側の理不尽な提案に異論があるので、それについての議論をした方が建設的」という主張も、時かけのクマガイの「公演が中止になるよりも、どんな手を使ってでも中止にさせない方が成功」という主張も、最終的には受け入れられませんでした。
どさまわりが「こうゆうナイゲンがやりたかった」のと同じように、
もしかしたらクマガイも「一緒にやってきた経験」という曖昧なものに揺さぶられたのかもしれません。
話し合うこと、思想をぶつけ合うこと、をテーマに(後づけですが…)二大青春群像劇が出来上がりました。
ちょっと眠いので第一回はこの辺で。。。
次回以降はもっとライトな記事にしてこうと思います。。。
ナイゲンに引き続き"時かけ"でも備忘録を書いていこうと思います。
ってかナイゲンの備忘録全然進んでなかった。。。
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注)
2w=二週間前
1d=一日前
5y=五年後
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1.時をかける稽古場とは
いつだかの記事でも書きましたが、本作品は
時間移動もの×演劇現場もの=普遍的な「あの頃」の物語(劇団という青春)
という一文から作品作りがスタートしました。
まぁこれはパッケージというか外側というかこの商品のキャッチコピーであったり売り文句みたいなものですけど、では出来上がった中身の物語に注目してみると「選択」と「決断」の話であったりします。
2.ニュータイプ的発想のクマガイとそれを受け入れられなかった「2wの人々」
本作のラストシーンで2wの人々は「Back Space」という公演について一つの大きな選択を迫られます。
Aクマガイのみを入れ替えた状態で本番を迎える=インフルは回避される=公演は中止にはならない
Bクマガイ含む全ての座組みを元に戻す=インフルは回避されない可能性が高い=ほぼ確実に公演は中止となる
こうして無機質な文字に起こしてしまうと、Aを選択するに決まってんじゃん!ってなっちゃいますよね。
まぁどうなったかは観て頂いた人には分かると思いますが。
前回公演ナイゲンの出演者でもあり役者仲間長谷川君のブログではこう語られています。
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アサコシの『我儘』は、クマガイの提示した正しい『解答』には、理屈の上では敵うはずがないのです。
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クマガイが提唱した超合理的思想A案はタイムマシンや因果律など全てを乗り越え得るニュータイプ的思想かもしれません。
しかし結果この物語のラスト、座組みの「選択」はオールドタイプ的思想B案でした。
一体何がその「選択」をさせたのか?
色々理由はあると思いますが「なんかダメ」という曖昧なものが、圧倒的に軟弱でお人好しな思想が、時として理を上回ったりするから不思議です。
クマガイのニュータイプ的発想はアサコシの「ほぼ確実に起きる。しかしまだ起きてはいない。」というある種の屁理屈のようなものを越えられなかったのです。
3.選択によって見えてくる是非
きっと観て頂いたお客さんの中には前項のクマガイA案を支持する人ももちろんいるでしょう。
B案を選んだのはあくまでもこの作品とこの座組みであり、もし自分の立場だったら。。。と考えてみるのもいいかもしれません。
5yの立場になって「過去の清算をするか否か?」なども考えてみて下さい。
その時の選択によって「タイムマシーンの是非」や「何をもって公演の成功とするのか?」などを自分に当てはめて考察してみるのも面白いですね。
もしタイムマシーンがあったら、あなたは使いますか?
4.ナイゲンとの共通点
「時をかける稽古場」と前作「ナイゲン」には奇妙な共通点があります。
「クマガイ」であり「どさまわり」という役は、理屈の上では正しい事を言っていても、大衆の支持が得られないこともある、という事を知ってしまいます。
ナイゲンのどさまわりの「そもそも学校側の理不尽な提案に異論があるので、それについての議論をした方が建設的」という主張も、時かけのクマガイの「公演が中止になるよりも、どんな手を使ってでも中止にさせない方が成功」という主張も、最終的には受け入れられませんでした。
どさまわりが「こうゆうナイゲンがやりたかった」のと同じように、
もしかしたらクマガイも「一緒にやってきた経験」という曖昧なものに揺さぶられたのかもしれません。
話し合うこと、思想をぶつけ合うこと、をテーマに(後づけですが…)二大青春群像劇が出来上がりました。
ちょっと眠いので第一回はこの辺で。。。
次回以降はもっとライトな記事にしてこうと思います。。。